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 僕が住んでいるアパートの近くには、川が流れているんだ。
 大昔からある川なんだろう。地形は川辺に向かって崖になっていて、車は崖の上から下まで橋が掛かっていて登り下りしている。
 いまは人しかほとんど通らない坂が、川沿いの道路から崖上に向かっていくつか通っていて、その一つを僕は自転車でよく使う。

 朝、練習の出掛けに下るとき、落ち葉が旧道の路面に敷き詰めたように落ちていて、ロードレーサーで急坂を下るのがやや恐い感じだったが、路肩を見ると落ち葉がこんもりと寄せてあって、どうやら掃除をする人がいるようだ。きっと、掃いてなければもっと落ち葉でびっしりだったことだろう。
 そんな様子だった坂道だが、帰りに通りかかると、路面は綺麗に掃き清められていた。見事なまでに落ち葉が無い。すばらしいな、と思ったら、九十九折を曲がった先でおじいさんが掃除を続けている最中だった。
 挨拶をし、朝見た光景と見違えたことを伝えて、僕が言う筋ではないかもしれないが、最後にありがとうと付け加えた。
 すれ違い様、短くだがちょっとした感動を伝えるに間違いのない言葉は、やっぱりそれしかなかった。


 小学校の頃、奉仕活動をいくつかやらされた記憶があると思う。
 僕の場合は海が近いこともあって海岸清掃だった。
 まあ子供であるから、やらされているという気持ちが大きくボランティア精神を学んだ、感動した、とはならないわけだが、だからといって意味も無いことではなく、いつか思い出すことだろう。それが教育だよね。
 大人になってそういう活動はしなくなる。中にはより徹底的にボランティア活動に身をおく人もいる。多くはそうではないけれど、社会貢献は職業を通じて行なっていると思う。職業や、社会的地位によって、大人になったからこそできることを、だ。
 そして歳をとると、だんだん出来ることも少なくなって、社会貢献は小さいけれど確実に地域のためになる身近な活動になっていくのだろう。
 社会貢献なんていうと、やらされる学校の活動を思い出して嫌なんで、人に喜んでもらえること、と言い換えよう。
 とまあ、坂道を掃除していたおじいさんを見てそんなことを考えたわけだ。
 歳をとったら、自分もああいう風になろうか。
 と思ったのだが、今やらないやつは、きっと歳を食ってもやらねえな。


 蛇足だが、社会貢献という四文字熟語に少し嫌気みたいなものを感じるのがなぜかを考えて見た。
 僕の主観だが、その人の行動を外から決め付けられ賛美され奨励されて、それこそ学校のやらされる感なりにつながる。別のものからのベクトルを感じる。
 奉仕の精神はおのずと内から湧き出るもので、社会からの賛美なんて余計なんだ。賛美されないのも困った世の中なんで、賛美されないよりは良いということになるんだが。
 とにかく社会貢献っていいことだからやろうよ、といわれてやってるんじゃないんだよ、というひねくれものの精神を僕は持っているのだ。
 でも、たまに褒めてねって言うこれまたヒネクレた・・・。

 僕はべつになんもやってないのであくまで仮定の話。おじいさんからすれば、誰からも一言も無いより嬉しいんじゃないかと思ったんだが、僕よりひねくれてたらナイスガイだ。ひねくれて無くてもナイスガイだ。
 
 なんだかだんだんまとまりの無い話になったけど、書いてしまったから残しておくよ。
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